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古代・中世

古代の寺院伝承

古代の寺院伝承筵内の医王寺と清瀧の清瀧寺はともに奈良時代の高僧・行基大菩薩によって開基されたという伝承が伝えられています。
医王寺は戦国時代立花氏を支えた有力寺院で、九州随一の名将として名高い立花道雪・宗茂親子の帰依を受けました。
清瀧寺は広大な寺領を持ち、薦野天降神社・筵内熊野神社などの別当を務めていました。
残念なことに中世の戦乱により多くの寺物が失われ、往時の姿をうかがい知ることは難しくなっています。 為息庵に祀られている聖観音像は奈良時代を代表する鳥仏師によるものだと伝えられています。
平安時代には伝教大師・最澄と弘法大師・空海にまつわる伝承が伝わっています。
最澄の話が新宮町の独鈷寺・千年家の開基伝承につながっていくのに対し、空海のほうは修行の旅の途中

薬王寺廃寺

薬王寺廃寺平安時代の山岳寺院跡です。江戸時代には礎石らしいものがあることが記され、地元では古い瓦が見つかることで知られていました。
寺は斜面を造成した平地に建てられていました。平成3(1991)年からの調査により大小2棟の建物跡と半円の石垣状遺構、瓦窯跡が確認されました。
広い平地に基壇を伴った大型の礎石建物があります。基壇は前面と両側面は石で囲い、背後は瓦を敷き詰めています。
建物の周囲からは大量の瓦が出土しました。また別の平地では小型の礎石建物が見つかりました。鐘楼か経蔵だったのかもしれません。
半円の石垣状遺構は大型建物正面の斜面から発見されました。
用途は不明ですが多量の灯明皿が出土しています。大型礎石建物の東側では登り窯も発見されました。多量の瓦片が出土したため、瓦窯と考えられます。
寺院とこれに伴う瓦窯がそろって発見されることは珍しく貴重な資料となりました。
現在伝わっているものは考古学的な資料ばかりですが、開基伝承では病気を治す力を持つ霊泉(薬王寺温泉)によって健康を取り戻した男が出家して薬師如来を祀ったことが寺の起りと伝えられています。

薬王寺廃寺の出土遺物

薬王寺廃寺の出土遺物薬王寺廃寺から出土した遺物の大半は瓦と日常に用いられた土器です。瓦は「自」という文字を模様に取り入れたもので、薬王寺廃寺以外では遠賀郡芦屋町の浜口廃寺で発見されています。
ほかに鬼瓦も出土しており、吊り上った大目玉と牙をむき出した大きな口で威嚇する姿は迫力があります。このほか緑釉陶器や中国製の白磁なども出土しました。
これらの出土品から、薬王寺廃寺は10世紀から12世紀にかけて続いたものと考えています。

鹿部山経塚

鹿部山経塚平安時代末に広まった末法思想に伴う遺物で、鹿部山の山頂より発見されました。
青銅製の経筒には奉納した場所と年、願主・金主の名前が刻まれています。
この銘文から当時の古賀市の様子を知ることができます。

神仏習合にまつわる遺物

神仏習合にまつわる遺物古代に始まった、日本の神々と仏教の仏達の本質は同じであるという考え方です。
明治時代の廃仏稀釈までは多くの神社に神宮寺があり、仏像・仏具が祀られていました。
神仏習合にまつわる遺物は、市域では中世に作られた筵内熊野神社の阿弥陀如来像板碑、木造阿弥陀如来坐像のほか、清瀧寺鳥居などを見ることができます。

十三仏板碑

十三仏板碑地獄とは中国で生まれた考え方で、日本には中世に伝えられました。筵内の医王寺に伝わる閻魔大王をはじめとした地獄の諸王達の名前や服装がどこか中国風なのはその名残です。
日本では地獄の諸王は死後の魂を導くために浄土の仏達が姿を変えたものとされ、その本尊とされる仏達をまつる風習が広まりました。
市域では小山田で発見された十三仏板碑があり、市指定文化財となっています。

このページに関するお問い合わせ先

文化課(リーパスプラザこが内)

古賀市立歴史資料館
電話:092-944-6214

〒811-3103 福岡県古賀市中央2-13-1


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