ひと育つ こが育つ
現在のページ
県道筑紫野古賀線沿いの川原西地区遺跡群から住居跡が3軒見つかりました。
おびただしい量の縄文土器と石器が出土しており、出土した土器からみて、今から4,000年くらい前の縄文時代後期のものです。
住居跡は直径4mほどの円形の竪穴式です。住居の中央には楕円形の浅い穴が掘られており中には炭や焼けた土が入っていました。
暖をとったりするための炉(いろり)と考えられます。
炉を囲むように柱穴があり、そのうちの1本だけ柱材が残っていました。木の種類は「ニガキ」という広葉樹の一種でした。
川原西地区遺跡群で出土した多量の縄文土器は、「鐘崎式」と呼ばれるものでした。
この土器は宗像市の鐘崎の地名をとって名づけられたもので、北九州地方一帯に広く分布する縄文時代後期前半を代表する土器です。
外側を文様で飾った精製土器とほとんど文様がない粗製土器とがあります。
精製土器は口の外側に帯状に文様をつけるのがこの時期の特徴で、文様は渦巻きとこれを取り囲む複雑な幾何学模様が主なモチーフです。
縄目模様は上半分につけられますが、ところどころを擦り消しています。
縄文時代の生活は、狩猟採集や漁撈が生業の中心で、石鏃(矢じり)や石皿、磨石、石錘(網の重り)、たたき石などの石器はそのための道具です。
中でも石鏃は多く、当時の狩猟の主な方法が弓を用いたものであることを示しています。
石皿は中央がへこんだ平らな石で、磨石がセットになっており、今で言うすり鉢とすりこ木にあたるものです。
採集してきた木の実などを石皿の上で、磨石やたたき石ですりつぶしたり、たたきつぶしたと考えられます。
川原石の両端を加工して切り込みを入れたものが石錘です。投網などの重りと考えられます。
石器の中には縄文時代後期に多い「扁平打製石斧」があります。名称は「石斧」ですが、最近では細い方に長い柄をつけて土を掘る道具であると考えられるようになりました。
住居の竪穴を掘ったり、野山の根菜類を掘ったりするのに使いました。
文化課(リーパスプラザこが内)
古賀市立歴史資料館
電話:092-944-6214
〒811-3103 福岡県古賀市中央2-13-1