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喜怒哀楽を歌に託して 心で人生を歌う、演歌歌手 静太郎(しずか・たろう)

静太郎

生まれも育ちも古賀市青柳(昭和39年12月4日生まれ)。
平成4年、作曲家船村徹さんに弟子入り。8年間の内弟子修行を経て、平成12年、九州男児の生き様をダイナミックに歌い上げた「玄海男歌」でデビュー。平成23年8月から古賀市ふるさと大使に就任。
趣味:アマチュア無線、スノーボード
特技:空手(初段)、珠算(3級)、料理
静太郎さん公式ホームページ(別のウィンドウが開きます)


歌手までの道のり
幼稚園の頃には人前で歌っていた記憶があるほど歌好きな少年で、いつかは歌手になりたいという夢をずっと心に抱いていた。だが、歌手になるには、レッスン代など多くの費用が必要になると思い、一度は夢をあきらめ、高校卒業後は運送会社に就職。それでも歌うことは止められず、ドライバーとして働く傍ら、各地ののど自慢大会に出場することで満足する日々を続けていた。しかし、周囲の知人たちは、プロ歌手になることを強く薦め、「作曲家の弟子として修行すれば費用がかからないのでは?」と、助言するなど静さんを応援した。静さんも「自分の好きな演歌を数多く作曲している船村徹先生の下で学びたい――」と、考えが変わり始めた。意を決し、早速、手紙やデモテープを送るが、なかなか返事は来ない。「やっぱり、だめかな…」と、あきらめかけたころ、船村徹先生の事務所から一本の電話が。「船村先生が『歌も歌えそうだし、やる気があって面白そうじゃないか。その気があるなら、上京してくるように』とおっしゃってますよ」静さんの全身に震えが走った――。プロ歌手への扉が開いた瞬間だった。


船村徹先生の下での修行時代
どんな修行をするのか分からないまま飛び込んだ弟子生活。レッスン中心の生活になるものとばかり思っていたそうだ。ところが、8年間の修行時代で受けたレッスンはわずか3回。生活のほとんどは、船村先生の身の回りの世話をする付き人としての生活だった。待望の初レッスンは入門から1年半後、突然、先生の部屋に呼ばれた。しかし、曲を歌い始めた途端、たった2小節歌ったところでレッスンは終了。「2小節も聞けば、歌に対する姿勢が分かる」これが船村流レッスンだった。次のレッスンは2~3年後だったとか。静さんは修行時代を振り返り、「船村先生から、『歌が上手なだけ、音程をはずさないだけでは歌は売れない。譜面どおり歌わなくてもいいんだ。心を歌え。お前の感情でお客さんに詞の心を伝えるんだ』と教えられました。最近やっと先生の言葉の真意が分かってきた気がする」と話した。


デビューはある日突然に
入門から3年が経ち、付き人生活にも慣れてきたある日、船村先生と慰問で刑務所を訪れたときのこと。先生をステージに送り出し、ほっと一息ついていると、いきなり舞台監督から「静!先生がステージから呼んでるぞ!早く来い!」と呼ばれ、慌てて靴をはき、つまずきながら、ステージに向った。前触れもリハーサルもない突然の初舞台だった。静さんは、その日ステージで何をしゃべったのか、何を歌ったのか、頭が真っ白で覚えてないそうだ。「今にして思えば、この慰問の少し前に、先生から『お前はよくしゃべってうるさいから、シズカニシロウ…いや、(静)太郎だな』と、今の芸名をいただいたばかりでした。先生の中で、そろそろステージデビューさせるかという思いはあったのかもしれませんね」と、静さんは当時のことをしみじみと語った。



平成23年11月、まつり古賀でのステージの様子


故郷、古賀に対する思い
最後に、静太郎さんに、古賀に対する熱い思いと、ふるさと大使としての意気込みを語ってもらった。「ふるさと大使に就任して以降は、行く先々でステージからお客さんに、『古賀はお米がおいしい、自然がきれい、温泉もある』など、積極的に故郷のことをアピールするようになりました。子どもの頃からの思い出がたくさん詰まった場所であり、やっぱり古賀が一番だと思っています。だから古賀のことなら、無理やり一生懸命にならなくても、苦労なく話ができます。今回、ふるさと大使に就任し、古賀でステージに立てて、本当に嬉しかったです。応援してくれる人たちの温かさにふれ、あらためてふるさと古賀を愛していると実感できました。これからも古賀を愛し続けます」



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